魔法少女アケミちゃん
第一話

 事のはじまりは入学式当日、私宮川明海が恋をしてしまったことにある。
 私立姫岡高校の入学式は四月八日。県下では二番か三番に頭の良いこの学校で、私は友達が出来るか不安だった。私もまあ勉強はできる方だったけど、この高校に入ったのは本当にまぐれって感じで、ちょっと気が引けていたのだ。
 出会いは教室で。教室に入って、前の席の女の子と軽くおしゃべりをした。どうやらその子もちょっと不安を抱いていたようで、宮川さんとしゃべれて良かった、と言われた。そして次の瞬間、その松井菜穂さんはその人を指差した。
「あの人さ、かっこよくない?」
 私はもちろんそっちを見て、そして、一目ぼれした。
 そのとき彼は本を読んでいた。第一印象は、頭良さそう。趣味が良いクールな銀縁眼鏡に華奢な腕時計。髪は漆黒って感じにサラサラで、色はそれと対比するように抜けるように白かった。目はきりっとして何かを見つめてるような感じ、鼻はなんだか外人みたいにまっすぐにラインが引かれていた。すっと伸びた足、細い指。つまり、超美少年。
 もちろん私は、うん、かっこいい、とうなずいた。
 時が経つにつれて、無知な私にもその人の情報ははいってきた。(まあ、同じクラスだしね)日下部純君、学校のすぐそばの私立中学校出身。入試のときは全教科満点という超秀才。
 本当に超かっこよくて、日に日に思いは募っていったけど、話しかけることはできなかった。タイミングがなかった、っていうか……日下部君も私も、なんだかあまり人気者っていうタイプじゃなかったので、あまり話しかけるチャンスがなかったのだ。
 だからある六月の水曜日、私はやっぱり日下部君に想いを馳せながら、今ではもう親友になっていた松井菜穂といっしょに放課後の教室でいろいろとしゃべっていたわけだ。
「明海ってさあ、日下部君のどんなところが好きなの?」
 いきなりそう聞かれ、私はかなり警戒する。
「っていうか菜穂、あんたも最初は日下部君かっこいいって言ってたじゃん」
「まあ、そうだけど」
 菜穂が髪をかきあげる。ストパーかけたんだ、中学生のときは剛毛だったよとよく話してくれるそのさらさらの髪は、ちょっとくせがある私にとってかなりうらやましい。しかも、南国風のその顔立ちは結構可愛くて、やっぱりきわめて普通な顔立ちをしている私にとって、やっぱりすごくうらやましい。
「でもさ、いろいろ話を聞いてるうちにわかるじゃん、どんな人か。挙げてあげようか? 無神経、無頓着、無愛想。ない、ない、ない、何にもないじゃん」
 菜穂がいらだつように指を折った。
「確かにあの顔はかっこいいよ。背も高いさ。でも明海、よく考えて。いっしょにいて楽しいと思う?」
「べつにいいじゃん。好きなんだから」
 私は少しだけ嫌気がさしてきた。
「まあね」
 菜穂もうんざりしてきたようだった。
「まあ、明海が日下部君命ってことは、あたしもよくわかってるしさ」
「もちろん」
 私はその言葉でかなり元気になる。
「私、日下部君にだったら何をされてもいいってくらい」
 そのときだった。教室の扉ががらりと開いて、冷房のよく効いた教室に蒸し暑い空気が流れ込んでくる。だけど、それといっしょに入ってきたのは全く蒸し暑い空気なんて似合わない人だった。その名も日下部純。
 聞かれたかな、と菜穂が目で合図する。そして、がらりと表情を変え、日下部君に話しかけた。
「日下部君! どうしたの?」
「忘れ物を」
 日下部君の声はすごく綺麗だった。低すぎず高すぎず。多分私はすごく真っ赤になってたと思う。
 日下部君はつかつかと自分の席に近寄り、分厚い本を取り出した。題名は『細胞強化におけるアミノ酸の役割』。全く意味がわからない本だった。だけど、日下部君の手の中にあると驚くほど面白い本に見える。
 私が見とれていると、驚いたことに日下部君は今度は私たちにむかってやってきた。菜穂が緊張した顔をする。
「宮川、さん」
 日下部君の口から私の名前が出るとは思わなかった。私はどぎまぎしながら、はい、と応える。今考えればすごくばかばかしい答えだった。
「話したいことあるんだ。あとで図書室に来てくれないか」
 日下部君は無表情のうちにそれだけをいい、そしてまた私たちに背を向けてつかつかと行ってしまう。
 私の頬は、かーっと熱くなった。
「えっ、何々? どういうことなの?」
 菜穂が、笑いが止まらなさそうな顔で、でもやっぱり小さい声で言う。
「全く意味がわからないんだけど! 明海やったね?」
「どういうことなの」
 私はできるだけ、赤くなった頬を隠そうとしながらつぶやく。それを見た菜穂が、今度はふんと笑って言った。
「ま、完全にわかったってわけじゃないですけど。これはあれじゃないですか、例の。……コクハ……」
「やめて」
 今じゃもう、私の心臓はドキドキバクバク波打っていた。
「まさか。多分違うよ。だってなんで今告白なんてする必要があるの? 菜穂もいたのに、なんで今話しかけたわけ? 違うよ、もっと無難なことだよ。たとえば、教科書貸してとか……」
「見るからに超几帳面そうなあいつがそんなこと頼むわけないじゃん。多分さっきのこと聞こえてたんだよ。私、日下部君にだったら何をされてもいい……」
「ホント、やめて」
 考えれば考えるほど頭の中がごちゃごちゃしてくる。でもとりあえず、菜穂の中ではもう告白っていうことに決まっているらしかった。私はもう拒むようにかばんで顔を隠す。
「あとで、……って、いつかな」
 私がおそるおそる聞くと、菜穂の顔がにっと笑顔になる。
「もう行っちゃいなよ。愛するハニーだから、べつにいつ行ったって待ち構えてると思うな」
「ホントやめて」
 私は耳をふさぐ。
 図書室は、私たちの教室がある四階のすぐ下、三階の奥にある。放課後は解放されていて、試験前なんかは大体人が集まるものだったけれど、もうその時期はテストが終わってすぐだったので人の姿はまばらだった。
 緊張しながら中に入っていくと、日下部君はすぐに見つかった。『科学』のコーナーの前に立って本を選んでいるようだったけれど、私が入ってくるとすぐに気づいたようで、軽く「やあ」と言ったような気がする。気がする、っていうのは口が動いただけだったから。私は真っ赤になっていたと思う。日下部君の前に立ち、「話って何」と短く言った。
「こんなところじゃなんじゃない?」
 日下部君は無表情にそう言ってのける。そしてぶらぶら歩き出す。私もあわててその後ろに従った。
 日下部君が落ち着いたのは書架と書架の間で、ちょうど机が備え付けてあるところからは見えないところだった。ジャンルは『被服』。
 日下部君は辺りをぐるりと見回す。すぐそばに、『女性の下着の歴史』とか『ミニスカートの推移』とかいう本があって、私はちょっと顔を赤らめる。もちろんもうその前から真っ赤だったけど。
 私は手をぎゅっと握り、再度「話って何」と聞いた。
「付き合ってくれないか」
 いきなり言われた。
 心臓がドキンと高鳴るのを感じた。目の前がくらっとした。すごく興奮状態なのがわかる。頭が痛い。だけどもちろん、よく考えなくたって返事は決まっていた。
「私でよければ」
 そう、これで契約は終了。私と日下部君は見事カップル。なんだかすごくじーんと来て、涙が落ちそうになった。苦節二ヶ月。お母さん、見事私は彼氏をゲットしました。
「一緒に帰らないか?」
 やっぱりそのお誘いも突然だった。私は勢いで「はいっ」と答える。だけど、よくその言葉を反芻して、今度は頭が熱くなる。
 一緒に帰る?
 それって俗に言う『放課後デート』ってやつじゃないですか? まさかこんな日が来るなんて、思ってもみなかった。
 やっぱりかあっと熱くなっている私を尻目に、日下部君はすたすたと歩き出す。もう日下部君の中では一緒に帰るっていうことに決まっているみたいだった。
 ……なんか、ちょっと急な話だったな、まだ返事もしてないんですけど。私は心の中でツッコみながら、とりあえずかばんを持って日下部君の後を追う。
 我が校の最寄り駅、『姫岡』の前は結構ショッピングモールなんかが集まっているところだ。駅に向かうにもそのお店の中に入った方が近道だし、もちろんその日も私たちはそのお店の中に足を踏み入れた。
 会話はほとんどなかった。手もつながなかった。ただいっしょにいるだけで精一杯で、心臓はなり続けていた。どんなにこの光景を夢見たことか。今は本当に夢じゃないんだろうかと何回も疑う。でも何回頬をつねってみても、目の前に日下部君はいるし、私は日下部君の横を歩いている。
 身長は百八十くらいあるのだろうか? 百五十四センチのあたしよりはるかに高い身長。長い足。センス良く着こなされた制服。きっちりってわけじゃないんだけど、上品な感じが漂っている。これが、私の彼氏。
 そう思った瞬間顔から火が出そうで困る。
「宮川さん」
 いきなり声をかけられる。ちょうど、ショッピングモールの隅っこにあるアクセサリーショップの前だった。
「あんなのつけたりする?」
 指差されて私が見たのはきらきら輝くペンダント。ああいうの大好き。家にはかなり溜めてある。
 だから、もちろん大好き、と答えようとしたけれど一瞬迷った。こういう質問をされるときっていうのは、もしかして、私に買ってくれようとしてるんじゃ?
 そんな、日下部君からプレゼントなんて、そんなまさか! 面目ない、じゃなくてもったいない、じゃなくて水臭い、でもなくてもうとりあえずそんなめっそうもない! あわてて私はそのショップの前から離れる。
「好きだけどあまりつけないかな」
 とりあえず嘘をつく。
 そして辺りを見回すと、華奢なつくりの腕時計がいくつも並んでいるのが目に入った。ああ、ああいうの大好き。
 ちょっと日下部君がしてるのに似てるのに目がいった。ベルトの部分が細くて、淡いブルーがかった銀色。日下部君がしてるのは文字盤に数字が描いてあるけど、これは数字が描いてなかった。でもそれ以外はほとんど一緒。
 だけどそんなのに目を奪われていたのも一瞬のことで、私は日下部君に目を向け、そして急かす。
「その、行かない? 電車遅れちゃうし」
「俺、買ってくものがあるんだ。いい?」
 やんわりといわれ、私は断ることもできずにうなずく。
 日下部君は、アクセサリーショップのすぐそばにあった薬屋に入っていく。私はなんだかがっかりしてしまった。実は日下部君がアクセサリーを買ってくれるのを望んでいたからだ。
 私はちょっとがっかりしながらも、薬屋の前で化粧品を眺めながら待っていた。
 五分もしたあと、日下部君が薬屋の袋を持って薬屋から出てきた。私たちはあらためて駅に向かった。
 地下に降り、改札口の前で聞かれる。
「宮川さんって何線?」
「地下鉄広条線だけど」
 同じ線ならいいな、と望みながら答える。でもわかってる。日下部君が何度かその改札口に入って行ったのは見てるから。
「俺は東山線なんだ。じゃ、ここでお別れだね」
 なんだかすごく悲しいのがわかった。違う改札口に行ってしまう日下部君の後姿をぼんやりと見ながら、私はため息をつく。

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